あぱの日記帳

拙い言葉を綴る

教育実習のアレ

日記 日記-雑記

わんばんこ!!

いや一ヶ月も空くとなるとお久しぶりっていう感覚すらないんですよね。

というかちゃんと書きたいなっていう気持ちはあったんですからね!ほんとだよ!

 

 

さてさて、一区切りがついたので書いていいかなって思い更新。

一区切りって言うとおっ、就活終わったんかな?ってなると思うけどそうじゃない。

そうぢゃない。

 

 

実を言うと昨日まで教育実習に行っておりましてですね。

詳しくはさすがに書きませんけど母校に行かせてもらい色々と学んできました。

 

 

実習期間は二週間なのですが、勉強や準備を含めると一月ほどと数えてもいいんじゃないでしょうかね。

それくらい整えていってました。えぇ。

 

 

あんなにも勉強したことが久しぶり+勉強の向こう側である研究もほぼ初めてに等しいので、

色々としどろもどろになりながらがんばりました。

 

 

社会の免許なので歴史、中でも日本史の「厩戸王」とか「大化改新」とかあたりです。

なつかしいですよね。

 

 

始める前は流れくらいしか覚えてなかったこの範囲ですが、今ではもう小話も入れれるくらい知識がついたような気がします。

乙巳の変とかね。おもしろいよねあっこ。

干支が乙巳にあたる645年(大化1),中大兄皇子(後の天智天皇),中臣鎌子(後の藤原鎌足)らが蘇我大臣家を滅ぼして新政権を樹立した政変。皇極女帝のもとで,皇位継承や政治方針に関し大臣の蘇我蝦夷えみし)・入鹿(いるか)父子と対立していた女帝の長子中大兄らは,唐の興隆により国際関係が緊張して高句麗百済には政変が起き,643年冬には皇位継承の有力候補だった山背(やましろ)大兄皇子(王)一家が入鹿に滅ぼされると,蘇我一族の倉山田石川麻呂(くらのやまだのいしかわのまろ)らを同志として大臣家打倒を決意し,645年6月12日,皇居の正殿で石川麻呂が〈三韓の表文(ひようぶん)〉と称する外交文書を読みあげている最中に,中大兄が率先して入鹿を斬り,雇っていた暗殺者たちがこれを殺し,翌日には蝦夷も護衛兵らに逃亡されて自殺した。

いやこの部分絶対誰も読んでへんわ

 

 

実際、この時代の人達は頭のなかが「食う」「寝る」「殺す」くらいの勢いで。

次の天皇を誰にするか?という争いですーぐ殺しあったりします。

教科書さんサイドも流石に殺す殺すじゃまずいと思ったのか、「滅ぼす」と書いてますけどね。

実際に考えてみると滅ぼすのほうがエグ味強い気がしますが。

 

 

とにかくそういうことを繰り返し、この部分は言わない、この部分は言うという

取捨選択が大事なんだということも学べました。

 

 

あと生徒がなんかやっぱりかわいいってことですね。

いやあの…そういう意味ではなくてですね…

 

 

純真さを持ってる子がいっぱいいて、あぁこういう高校生活してたっけなぁ…

という誤解錯覚に陥ることがあります。

 

 

高校時代の記憶を思い返せば……………………………

 

…。

 

 

 

とにかく実習は思っていたより、っていうとアレですけどすごく楽しい期間でした。

体育祭もあり、6月初めにして日焼け&皮めくれるという夏男っぷりを発揮したので、自分的にも満足です(?)。

 

 

 

周りのみんなは就活を終わらせはじめてきて、正直焦りの部分が大きいですが

まぁ気楽にヒョヒョイと行きたいなと思います。

 

 

というリハビリ記事でした。